2012年9月アーカイブ

_1328618814.79037_350.png■小さな身近のことを大切に1つ1つ積み上げることがゴールを引き寄せる力となる

「大事をなそうとする思うなら、小事を怠るな」


二宮尊徳の言葉です。昔、貧しい浪人が農民から田畑を譲り受け、美味しい野菜を作ろうとしました。それを、売ればお金になるかもしれないと考えたのです。


ところが何年かかっても美味しい野菜を作ることができませんでした。そこで浪人は二宮尊徳に、「美味しい野菜の種はどこで仕入れたら良いのでしょうか?肥やしはどこで調合したら良いのでしょうか?」と尋ねました。


二宮尊徳は答えました。「野菜の種や肥料などどうでも良いのです。そんなことを考える暇があるのなら、畑に生えている雑草を取り除くことを考えなさい。雑草を取り除けば、土に十分に栄養が行き渡ります。そういう小さなことを大切にすることが、美味しい野菜づくりに繋がるのです」と。


すなわち、取るに足りない小さなことの積み重ねが、願望の実現に繋がるということをこの言葉は表しています。


ありとあらゆる願望は、取るに足りない些細な要素から成り立っています。その取るに足りない些細なことを、1つ1つ万全なものにしてこそ、"今の自分"と"なりたい自分"の間にパイプが引かれるようになり、願望の実現ができるのです。


「脱サラをして起業して、自分でお金を稼いで生活できるようになりたい。」そんな願望にも、この事が当てはまります。小さな身近のことを大切に1つ1つ積み上げることがゴールを引き寄せる力となるのです。成功のコツです。




_1328619842.99349_69.png■上司に叱られたり、仕事で嫌なことがあったりしたら

「いたずらに過ごす月日の多けれど、道を求める時ぞ少なき」


鎌倉時代の禅僧の道元の言葉です。人間は生活の中で、あれやこれやとマイナスの感情にとらわれ、無意味な時間を過ごしてしまいがちです。やるべきことがあるなら、それに時間を費やすように心がけることが大切だということを表しています。


サラリーマン生活を送っていれば、嫌なことも沢山起きます。上司に叱られた日、友達に上司の悪口を言う、仕事で嫌なことがあるとギャンブルで憂さを晴らすというような人もいると思います。


将来は、脱サラし起業する願望を抱いていても、マイナスの想念にとらわれ、無意味なことで時間を費やしていては願望は叶いません。


上司の悪口を言ったり、ギャンブルをすれば一時的にすっきりしますが、時間が経つと余計に腹が立ってきます。ギャンブルで負けたりすれば、さらに不快になります。心のレベルがマイナスの地点にあるとすれば、さらに、マイナスの度合いを深めてしまうことにもなります。


しかし、同じような状況であっても、その時間を使って、脱サラの準備を整えたり、自己啓発に時間を当てれば、心の状態はがらりと変わります。


「なすべきときに、なすげきことをしている」という充実感や満足感に浸ることができ、将来への希望も持てるようになります。つまり、上司に叱られたり、仕事で嫌なことがあったりして、心がマイナスへ傾いてしまっても、プラスの方向へ移行させることが可能です。


時間を有効に使う人が人生では成功をするのです。

_1328618899.13267_533.png■願望実現には時間と努力が必要

室町時代の禅僧の一休の言葉に、「達磨(だるま)9年、仏6年」というものがあります。悟りの境地に至るまでに、禅僧の開祖とされる達磨は9年かかり、仏の開祖のお釈迦様は6年かかったといいます。そして、かなりの修行をしてそこに至ったそうです。


すなわち、何かを成し遂げるためには、ある程度時間がかかるし、労力も必要だということです。


あの豊臣秀吉だってそうです。織田信長に取り立てられ、順風に出世したかのようなイメージを持たれていますが、決してそんなことはありませんでした。草履取りから足軽に取り立られるまで、5年近くかかっています。


願望を掲げ、努力してもうまく行かないときもあります。もし、2~3年でそう思っているなら、もう少しがんばってみるべきかもしれません。あと、何年もそういう状態は続かないはずです。せいぜいあと1年や2年の話ではないでしょうか?


なりたい自分をイメージして一足飛びにいかないと嘆くには少し早いかもしれません。願望実現には、ある程度時間が必要だし、それなりの努力も必要です。しかし、ある程度の時間、それなりの努力さえクリアすれば、突然光が射してきて、願望実現へ向けて、とんとん拍子にことが運ぶようなるのです。

_1328618949.95825_13.png■自分らしく生きるのが一番

私が人生で一番大切にしているのは、自分らしく生きることです。自分らしく生きれば、楽だし、人生としての実りも大きいと思います。他人の目を意識して生きているほどつまらないし、実りも小さいと思います。


40代前半で脱サラをしました。その一番の理由は、「自分らしく生きたい」というものでした。生活できないと困りますが、お金は二の次でした。


世に多くあるパターン、お金を選択条件の一番にしてしまうこと程、人生でのマイナスはないと思います。楽しく便利に生活をするためにお金あるのであって、お金を稼ぐために仕事をするということは間違っていると思います。


こう話すと、「そんなことを言っても、食って行かなければならないじゃないか!」という人も多いと思います。でも、そういう人は、それまでです。会社に使われて終わるのだと思います。


サラリーマンが悪いと言ってはいないですよ。サラリーマンだって、自分らしく生きている人はいます。企業の社員として働いた方が自分の夢を叶えられるから、そうしているような方です。


そういう人は、仮に会社が倒産しても、違う企業から引っ張りだこですよ。私が言っているのは、会社の部品になっているような人のことです。仮に会社が倒産すれば、行き場がなく困ってしまうような方です。すなわち、会社に依存している人です。


大手企業で働いている方や公務員の方、給料が良くて将来が安泰に見えても、会社とか組織の部品になれば、自分らしく生きるのは難しいと思います。私も上場会社に勤めていましたが、いくら給料が良くとも、今は戻りたくありません。


脱サラして5年になりますが、どんどん生活が楽しく自由になっていっています。大切なのは、「自分らしく生きること」、これをいつも優先することだと思います。仕事選びで大切なことも、自分らしく生きる事ができる仕事を選ぶことだと思います。


_1328618814.79037_350.png■脱サラを志したら、他人の意見に惑わされるな

燕雀(えんじゅく)いずくんぞ
鴻鵠(こうこく)の志を知らんや


これは司馬遷の言葉です。燕雀というのは、ツバメやスズメといった小鳥、鴻鵠とはワシやタカといった大きな鳥のことです。


「地面で虫をついばんでいる小鳥たちには、大海原へ向けて飛び立とうとしている大きな鳥たちの志はわからないだろう?」ということを表現しています。


極端に言えば、小物は大物の志など分からない。だから、願望を掲げたら、それに異を唱える人たちの意見に惑わされてはいけない」といことを意味しています。


ある心理学者の調査では、願望を掲げても「自分には無理だ」「やはりできない」と途中であきらめてしまう人が大半だといいます。その理由の大半が、他人にマイナスの意見に惑わされることが要因となっているようです。


「脱サラして、起業して、自分の力で食って行こう!」と願望を掲げてもうまく行かなくなる場合があります。そういう時は気落ちし、心がマイナスへ傾いてしまいます。そのうえ、「貴方には向いていない、無理に決まっている」と言ってくる人がいれば、他社暗示も加わって挫折してしまうかもしれません。


「無理に決まっている」と言ってくる人がいたら、その人にとって無理なのであって、願望を掲げた人が無理なわけではありません。そういった小物の意見に惑わされることはありません。「脱サラして独立する」と願望を掲げたら、他人が何と言おうと、志を曲げることなく、突き進もうではありませんか。

_1328618875.35913_374.png■願望のデメリットの知ること

サラリーマンを辞めて、本当に脱サラをしていのであれば、前向きに考え行動するべきです。でも、願望のデメリットはしっかりと抑えて起きたいところ。脱サラとか起業のデメリットを認識することも成功のために必要なこと。


昔、ある金持ちが東南アジアに旅行へ出かけました。陸経由だと山賊に襲われる危険があったので、豪華な船を用意し出発しました。


それを見た庶民たちは、「いいな。自分もいつか、ああいう船に乗ってみたいものだ」と羨ましがりました。しかし、間もなく「船に乗りたい」と誰もが思わなくなりました。金持ちを乗せた船は、嵐に見舞われ転覆してしまったのです。


この出来事からの教訓は、「物事全てに一長一短があり、利点ばかりだと限らない」ということが言えます。願望にも同じことが言えます。


「社長になればいいな」、「プロスポーツ選手になりたいな」と願っても、利点ばかりだとは限りません。社長になれば収入はアップするかもしれませんが、責任感やストレスなどで神経をすり減らし病気になるかもしれません。


スポーツ選手だって成功すれば収入が増えるかもしれませんが、競争に負けてしまったり、怪我をしてしまえば、その道を断たれてしまうわけです。


ただ、願望のデメリットをあらかじめ知っておけば、その願望が自分にとり本当に好ましいものかが認識できます。憧れと現実の差を埋めることもできます。脱サラ起業をするなら、憧れたばかりではなく、願望のデメリットも理解した上で、自分の可能性に挑戦することが大切なのだということでしょうか。

_1328619765.90547_752.png■何があっても自分に原因があったと考える人は立ち直りやすい

人から何かを言われて傷つく場合、自分が自己嫌悪を感じている部分、それがコンプレックスを感じている部分であることが多いようです。


例えば、自分は頭がいいと自覚している人が、「君は頭が悪いね」と言われても、大して気になりません。しかし、日ごろから学歴コンプレックスがあり、「やっぱり無理をしてでも一流大学へ行くべきだった...」と考えている人が、「君、こんなことも分からないのか。」と言われたらどうでしょうか?


同じことを言われても、後者の方が過剰に反応をしてしまいます。つまり、コンプレックスがなくなれば、傷つくことが少なくなるとも言えます。


また、自己肯定感の低い人の特徴は、他人に過剰に期待している人が多いともえます。自己肯定感の高い人は、他人に何を言われても気にならないし、どのような環境にあっても自分の価値は変わらないと考えています。


何か嫌なことが起きても、それは誰かの責任ではなく、自分自身に原因があると考えられ、次からそれを改めることができます。


嫌なことがあったときに他人の責任にしている人は心が折れやすく、反対に何があっても自分に原因があったと考える人は立ち直りやすいと言えるでしょう。

_1328618875.35913_374.png【メンタルを強くする方法】

■心が折れやすい人

心が折れやすい人は、ひとつのマイナスの出来事を大きく捉え過ぎてしまう傾向があると思います。


例えば、取引先の担当者に嫌味を言われたとき、前向きな人であれば、「相変わらずあの人は難しいよなぁ~。まあ、いつものことだからいいか~」と笑い飛ばしてしまうのに対し、


心が折れやすい人は、「また馬鹿にされた。きっと次行ったら、もっと嫌味を言われるだろう...」とマイナスなことを連想してしまう傾向があります。


そのため、心が折れやすい人は、1日の中で不安や心配を感じる時間が長くなります。その状態が悪化すると、初対面の人と知り合うことが恐怖となり、他人を信頼できなくなるという人もいます。


どうして、そのように心が傷ついてしまうのでしょうか?


それは、人間には誰でも「自分のことを認めてほしい」という気持ちがあるからです。


「貴方は凄い」、「貴方に会えて良かった」と言ってほしいのに、現実には反対で、自分のことなどに関心が無いように見えます。そんな時に理想と現実のギャップを見つけて、苦しくなってしまうのです。


それが心が傷ついてしまう原因なのです。「自分が必要とされていない」という気持ちを感じる機会が多い人は、ちょっとしたことで傷つきやすく、心が折れやすくなるのです。


このカテゴリー、次回からメンタルを強くする方法を考え行きます。

_1328618931.46367_599.png■我欲よりも志を重視する

中国の昔話を1つ紹介します。ある村で二人の青年AとBが官僚になるための試験に合格するために猛勉強をしていました。そこに仙人が通りかかり、二人に「どうして官僚になりたいのか?」と尋ねました。


Aは、「合格して官僚になり、立派な政治家になりたい」と答えました。Bは、「合格して官僚になれば、お金が沢山貰えるから、贅沢に暮らせます。私は美味しいものを沢山食べたいのです。」と答えました。


半年後、Aは見事に試験に合格しました。それに対しBは不合格で、その後原因不明の病気で寝たきりになってしまいました。実はその仙人は村の神様の化身でした。我欲に目を奪われ、自分の快楽した考えていないBに天罰を下したのです。


志と欲とは違うものです。同じ願望でも、志は叶うことで生き甲斐を創造したり、社会貢献に繋がることになりますが、欲は自分の快楽を満たすだけで、人間として生きる上で大切なことを見失ってしまうことになります。


志は自分らしさが伴うために、本気になれ、熱意と行動力が湧いてきて、生き生きとしてきます。欲だと自分らしさがないがために、本気になれず、熱意や行動力だって湧いてきません。人間、志を持って生きたものです。

_1328618899.13267_533.png■脱サラできない理由ばかり並べていてもラチがあかない

「金がないから何もできないという人間は、金があっても何もできない人間である」


江戸時代の俳人、小林一茶の言葉です。江戸時代に仕事もしないでぶらぶらとしている男がいました。男は、「金さえあれば、屋台のそば屋でもはじめるのに...」と言っていました。


ある商人がお金を提供する話を持ちかけたところ、男は「そばの打ち方が分からない」と言ってきました。商人は「それならそばを打つ達人を紹介する」と言ったところ、今度は「自分は不器用だから...」と言ってきました。


できない理由ばかり探しているようでは、モチベーションだって高まらないし、いつまで経っても物事は前に進みません。


私たちも同じです。「サラリーマンを辞めて独立したい」「脱サラして起業をしたい」と言っても、「お金がないから...」「時間がないから...」などできない理由ばかりあげていたのではラチがあきません。


お金がないのなら、お金を捻出する方法を、時間がないのなら時間を捻出する方法を考えるべきです。できない理由ばかり口にしていても、マイナスの状態から抜け出せません。そうではなく、「どうしたらできるのか?」と可能性を見つけるようにすれば、希望の光が射してくるようになり、やる気も湧いてきます。

_1328619842.99349_69.png■身の丈より少しだけ高い目標を掲げる

3メートルの塀を飛び越えようと思うのなら、5メートルの塀を飛び越える気持ちで臨むべきです。余裕が出るので、飛び越えやすくなります。


夢や願望も一緒です。少しだけ高めに設定した方が叶えやすくなります。やり手のセールスマンがいい例です。月に10件の契約を取ることがノルマだとすれば、彼らは15件をノルマに抱えます。


10件がノルマだと、1件でも契約が取れないと達成できませんが、15件がノルマだと数件の契約が取れなくとも楽々クリアできます。


そればかりではなく、15件の契約を取るためにはどうすれば良いのかということを真剣に考えるので、知恵が湧いてきます。意欲が倍増し、行動力も高まります。その結果、たとえ15件が達成できなくとも、当初の10件は必ず達成ができるのです。


目標設定は非常に大切です。成功の鍵を握っています。私たちも等身大の願望で満足するのではなく、身の丈よりも少しだけ高い目標を掲げてみてはどうでしょうか?

_1328619765.90547_752.png■夢や願望がプラスの気を引き寄せる

人はは、弱気、邪気、陰気というマイナスの気があります。やる気、活気、元気というプラスの気もあります。


「不景気でいつ仕事を失うかわからない」、「才能がないからこの先たかがしれている」という気持ちが強いと、弱気、邪気、陰気といったマイナスの気にどんどん包まれるようになります。物事を悲観的に考え、毎日が憂鬱になります。行動力も低下し、何をするのにも消極的になります。


しかし、「不景気でも、いつかこういう仕事をしてみたい」、「そのうち、こういうことを体験してみたい」という気持ちがあれば、やる気、活気、元気というプラスの気に包まれ、希望と勇気が湧いてくるようになります。


毎日が楽しくなりイキイキとしてきます。行動力もアップし、何をするのも積極的になります。つまり、夢は願望があると、心にプラスの気が充満するようになり、ポジティブな生き方ができるようになります。


そう考えると憂いて悶々としているよりも、小さくともいいから「いつかこうしてみたい」という夢や願望を持って、前向きに生きた方が得です。マイナスに傾いた心をプラスに向けるには、まずはしっかりとした志を持ちましょう。

_1330865489.07595_879.png■やりたいことをやろうぜ!!


「えっ、将来の生活が不安...」


その気持ちをちょっと横に置いておきませんか?


考えてもみてください。不安を感じて不安のために行動を起こして、その結果が良いものになると思いますか?


でも、多くの人が不安を消すための人生を送っているのではないでしょうか?


極端な話、私たちは簡単に野垂れ死にはしないですよ。このご時世、不況の時代が続きますが、野垂れ死にした人の話は聞きません。


それよりも多いのが自殺のニュースです。あれは、不安などマイナスの想念を対象に生活を立ててしまっているからです。だから絶望的な領域へと入ってしまうのでしょうね。


「仕事がなくなっても、最悪公園で寝泊まりすればいいじゃない...、それよりも、一度の人生だからやりたいことをやろう!」と思って暮らしてみれば分かります。


自分の本当の気持ちに従って精一杯生きている人は、どんなに苦境があっても乗り越えていきますよ。頑張っていると不思議な力がサポートしてくれたりも。野垂れ死の覚悟ができた者は、野垂れ死しませんよ。


皆、いろいろな不安を抱えていると思いますが、その負担を1つずつ手放していくことです。手放すには腹をくくれば良いのです。人生は選択岐の連続です。その時に「不安」と「希望」からどちらかを選ぶことになります。


小さいことからで良いので「不安」を手放し、「希望」を選ぶことですね。例えば、会社の会議で自分の意見はこうだと思えば、その通りに発言します。「こんなことを言えば、上司に避難されて...、出世できなかも...」などという不安を選択しないようにするということです。


それが出来てくると生きるのが楽しくなってきますよ。

_1328618899.13267_533.png■人生、やりたいことをやるのが一番

アメリカで90歳以上のご老人を対象に実施したアンケートがあります。


質問は、ただ1つ。


「90年の人生を振りかって唯一後悔していることは何ですか?」


この質問に対して90%の人が同じ回答だったそうです。さて、それは何だと思いますか?


「もっと冒険しておけば良かった」


だったそうです。


私は、どうしても平穏を求めてしまったり、不安や恐れをいつも抱えて暮らしています。もし人生を1つ映画だと考えたらどうでしょうか?


平穏なストーリなど面白くもなんともありません。波乱万丈で、時にはスリリングなストーリーの映画を求めるでしょう?


そして、不安や恐れを感じていたり、将来の心配ばかりしていては、自分が納得のいくことが成し遂げられるとは思いません。余計なことは何もかも忘れて、1つのことに没頭しているようなときに、大きな成果が得られるのだと思います。


自分が仮に90年以上生きたとして、人生を振り返った時に、「自分の人生は面白い人生だった」、「色々なことがあったが何とかなった」、「好きなことを思う存分できた」と思えが方がいいに決まっています。


だったら余計なことに意識を向けずに、失敗に意識を向けずに、自分がやりたいことを精一杯やるべきです。セーフティな人生ほど詰まらないのに、なぜ、私たちはセーフティーばかりを求めるのでしょうか?


脱サラにしてもそうです。サラリーマンが嫌なら無理して会社にしがみついていることはありません。自分が思うようにやればいいのです。もっと、冒険しませんか?

_1328619842.99349_69.png■可愛かずみさんの自殺

可愛かずみさんというタレントがいましたよね。1997年に突然自殺をしてしまいました。32歳の若さで...。自殺の真相は色々と騒がれましたが、正確にはわかっていません。


飛び降り自殺の現場が、かつて交際していた川崎憲次郎さん(元プロ野球選手)が住む目黒区駒場4丁目のマンションだったことが様々な憶測も呼びました。可愛かずみさん鬱病の治療もしていて、それも自殺の要因の1つだったのですかね。今日は仕事でこの近くを通ったら、なんだかこの事件のことを思い出しました。


話変わって、昨日、首こりの本を読みました。原因が特定できない疲労の症状や精神病などの原因は首にあるという内容でした。


首には自律神経のセンター的な役割をする部分があり、首こりによりここがダメージを受けると、自律神経が乱れ、体調を崩したり、疲れが抜けなかったり、鬱病になったりするということでした。現代人は、パソコンや携帯をして、首に負担がかかる姿勢で固まる時間が長いようです。これが首こりの原因にもなっています。


解決策としては、首を温め、ストレッチや体操をすると良いようです。それと下ばかり見ていないで、上を見ること。これが大事なようです。


私も早速、蒸しタオルで首を温め、上を見て首を伸ばすストレッチしました。これが凄く気持ちがいいし、気分が不思議なくらい爽快になります。


何か悩み事を抱え固まってしまったような時は、首のストレッチが有効かもしれません。今日はなんだかつかみ所のない話になりました。自殺、鬱病、下向く、首こりというキーワードが妙にシンクロした日でした。

_1328618931.46367_599.png■やるべきことをやって、結果は天に委ねる

「成すべきは人にあり、成るべきは天にあり」

杉田玄白の言葉です。人間として、努力を積み重ねることは大切なことです。でも、結果は人知が及ばない天が決めます。だから、精一杯努力をしたら、後は天に委ねること。やるべきことをやれば、天は悪いようには取り計らないということを表しています。


アラブの民話を1つ紹介しましょう。昔、王様の命令で三人の王子が海賊退治に向かいました。海賊は滅亡し、褒美して、三人の王子は王様から領土を分けて貰うことになりました。


たいして活躍しなかった長男と次男には、緑豊かな森林に覆われ領土が与えられたのに対し、一番活躍した三男には、木一本生えていない山の領土が与えられたのです。


だけども、三男は「海賊退治を行い、国の役にたったのだから、天は悪いようにはしないだろう」と考え、文句一つこぼしませんでした。


案の定、一番得をしたのは三男でした。まもなく領土からたくさんの金銀が発見され、巨万の富を得ることができたのです。


この話にあるように、やるべきことを一生懸命にやったら、「後は天が決めること。天が良き方向へ計らってくれる。」と考え、運命を神に任せる気持ちが重要なのです。そうすれば、神様は、その人が思いもつかない方法で、思わぬ幸運を授けてくれます。

_1328618899.13267_533.png■マイナスの記事は読まない、プラスの記事を読め

「人生、字を知るより憂患始まる」

これは中国北宋時代の書家、蘇軾の言葉です。字を知るということは、書物を読むことにより情報を得ることです。憂患とは心配ごとのこと。心配ごとは書物を読んで情報を得ることで生じる場合があるので、マイナスのことが書いている本は、読まない方がいいということを表しています。


たとえば、脱サラして独立しようと希望を抱いても、不景気や倒産の記事を読めば、「現実には難しい、やめておこう」と心がマイナスに傾いてしまいます。意欲も薄れてしまうでしょう。


そうならないためには、マイナスのことが書かれている記事を読まないことが一番です。そして、明るいことが書かれている雑誌や新聞記事に目を通すことをオススメします。


不景気でも独立し脱サラに成功した人もいます。そういう人の体験談を読むことで、マイナスに傾いた心をプラスにしてしまうのでしょう。マイナスの情報によりマイナスに傾いた心は、プラスの情報で心をプラスにするのです。そうすれば勇気も自信も湧いてきます。

_1328618949.95825_13.png■困難にぶつかった時は、流れに身を任せる

「水の流れのように生きれば、激流の水が大河の水へと転じるように、苦境もやがては消滅していく」


これは釈迦の言葉です。川は、渓谷では渦を巻き、岩を飲み込み、岩へぶつかって激しく水しぶきを上げながら流れます。渓谷を過ぎると流れは緩やかとなり、穏やかに大河へと注がれるようになります。


人生もこれとよく似ています。困難や逆境はつきもので、避けて通ることはできません。だから、川の流れのように逆らったりせずに、自然の流れに身を任せがら生きた方が良いのです。そうすれば、いつか岩もなくなり、大河のように穏やかな人生をおくるようになるということを表しています。


こう考えると、困難や逆境を避けることはできないんだとマイナスの想念をいだく人がいます。しかし、子供の頃を思い出してください。転んで怪我をしたりし、痛い思いをしても、怪我の痛みなど気にしないで遊びという自然の流れに身を任せていたのではないですか?


何かへ向けて行動を起こすときは、自然に身を任せていれば良いのです。


行動を起こせば大なり小なり障害がついてまわります。いちいち気にすることなく、自然の流れに身を任せてしまうのです。そうすれば、いつしか逆境が順境へと転じることでしょう。行動を起こした分だけ、実りを得ることができます。

_1328619842.99349_69.png■不幸の後には、必ず幸福がやってくる

「禍福はあざなえる縄のごとし」

これは司馬遷の言葉です。「幸福と不幸は、より合わせた縄のようなもので、不幸の後には幸福が来て、不幸の後には幸福がくる」ということを言っています。

東南アジアに昔から伝わる民話があります。昔、三人の若者が川のほとりに立派な家を建てました。

嫁が来てくれるだろうと期待してのことです、ところが、ある日大雨で川が氾濫し、三軒とも流されてしまいました。

一人の若者は「神を呪う」と怒り、もう一人の若者は、「お先真っ暗だ」と嘆きました。しかし、三人目の若者だけは、「不幸は過ぎ去った。後は幸福が来るのみ」と言ったのです。

事実、その若者には幸福が訪れました。川が氾濫した時に、溺れかけていた女性を助け、そのがきっかけで親しくなり、結ばれることになったのです。

しかも、彼女は貴族の娘だったので、若者は何不自由ない生活が送れるようになったのです。

私たちも同じです。司馬遷の言葉にあるように、前向きに生きていれば、辛い出来事の後には、嬉しい出来事がやってきます。

挫折や失敗の後には、成功のチャンスがやってくるものなのです。会社が倒産した、転職先が見つからないといったようなどん底状態でも、マイナスに考えないで、プラスに考えましょう。

もしかしたら、脱サラし起業するチャンスかもしれませんよ。


_1328618899.13267_533.png■困難に見舞われたら、逃げずに立ち向かえ!

「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候 この災難を逃れる唯一の妙法にて候」

江戸時代の僧の良寛の言葉です。困難に見舞われても、必要以上に恐れてはならない。逃げようとしないで、逆に困難の中に飛び込んでしまえば、案外大したことがなかったりもするということを言っています。

例として、欠陥商品を納品して、得意先からクレームがきたとします。

「なにを言われるかわからない。取引を打ち切りにされたらどうしよう?」と考え、謝罪に出向くのをためらっていたら、得意先との関係は悪化するばかりです。

下手をすれば、「誠意がない」と本当に取引を打ち切りにされるかもしれません。

しかし、すぐさま謝罪に出向けば、思ったほど大事には至らずに、「これから気をつけて下さい」といった程度の軽い注意を受けて済むかもしれません。

むしろ、「すぐに謝りにくるとは誠意がある」と評価され、信頼の絆が深まることもあります。

何事も、案するより産むがやすしです。災難に見舞われたからといって、不安な気持ちで長い時間を過ごすより、災難の中に思い切って飛び込んだ方が、問題がスムーズに解決するし、心だって楽になります。

災難から逃げないことが、災難を逃れる唯一の方法なのかもしれません。

_1328618931.46367_599.png■マッサージでは肩こりの根本的解決にはなりません。

性別を問わずに多い悩みが肩こりです。
肩が凝ったからと背中を揉んでもらうという人がいますが、根本的な解決方法にはなっていません。

そもそも肩こりはなぜ起こるのでしょうか?

肩こりの原因というのは、肩のまわりにある筋肉にあります。但し、筋肉痛とは別物です。
筋肉痛は運動などのよる筋肉の使い過ぎによって起こることはご存知だと思います。これに対して肩こりは、肩の筋肉の使わなすぎによって起こります。

肩こり予防のために、どの筋肉を使わないといけないかというと、肩甲骨まわりの筋肉です。肩甲骨は上半身の骨盤ともいわれます。

一昔前は、畑仕事をしたり、まきを割ったりと、上半身の筋肉を使うことが多かったのですが、現代は多くの人がデスクワーク主体の生活をしています。

そのため肩甲骨まわりの筋肉を使う機会がさらに少なくなり、そこに血液が鬱血してしまいます。それにより、肩に痛みが生じるのが肩こりです。

肩を揉んでもらった時は、この鬱血した血液が流れるので、一時的に肩こりが解消されます。しかし、肩甲骨まわりの筋肉を使っていなければ、また血液が鬱血してしまい肩こりが起きます。

ですので、マッサージでは肩こりの根本的解決にはなりません。

_1328618814.79037_350.png■頭を洗いすぎるとハゲになる

頭皮をカメラのズームで写して、毛根に脂汚れが詰まっているのを騒いで、ハゲになる原因だという人がいます。これは本当でしょうか?

真相は?

「毛根に脂が詰まっているのは良いことです。」

毛根には、バイ菌や毛じらみが侵入しようとします。それを防ぐために皮脂によってバリアをつくり守っているのです。

頭皮の皮脂を洗い流すと、体は慌てて皮脂分泌するようにアンドロゲンという男性ホルモンを分泌します。

アンドロゲンは、額の毛根の転換酵素によって薄毛ホルモンになります。つまり、頭の洗い過ぎがバゲを招いているのです。

多くの人は毎日シャンプーをして、シャンプーで洗うと毛がパサパサになるので、潤いを与えるためにリンスを使います。

しかし、シャンプーやリンスを使うとフケが酷くなるのです。

シャンプーで脂を落とすと体は脂を補います。その結果、脂過剰となり、湿疹や脂漏性湿疹となるのです。これがフケの本体です。

さらには、リンスは潤いを与えているのではなく、シリコン樹脂でコーディングしているのです。すなわち、頭皮を汚しているのです。

このことを知って、シャンプーは頭皮に優しいアミノ酸洗浄成分のものに換えました。また、リンスは一切使いません。

それ以来、フケとまり、髪の毛もつやつやになりました。頭皮が臭いということもありません。

化粧品メーカの宣伝に騙されて、頭を洗いすぎて頭皮の保護膜を破壊するのは止めましょう。

_1328619842.99349_69.png■不安なこともやってみれば大したことなし

「幽霊の正体見たり枯尾花」

江戸時代の文人の横井也有の言葉です。横井也有が夜道を歩いていると、川岸に不気味なものが立っていました。

幽霊かと思い、恐る恐る見ると、どうってことはありまぜん。枯れススキ(枯尾花)だったのです。

こうして生まれたのがこの言葉です。不安、心配も案外たいしたでなかたりするものという意味です。

言い換えると、不安や心配や恐怖というものは、その人の取り越し苦労である場合が多いもの。

例として、転職して早々に、今までとは違った部署に配属され、不慣れな仕事をやることになったときです。畑違いの企画部に配属されたとします。

「どうしようか?自分は経験もスキルもない...」と思っても、実際には前年の例を参照すれば簡単にできるものだったりもします。

自分には向いていない、できないと思っても、それは思い違いで、実際にやってみたら比較的簡単にできたりします。

実際にやってみたら意外に対してことがないということもあります。

今まで気づかなかった才能や天職のヒントが発見できるチャンスかもしれません。だとしたら、逃げないで気軽な気持ちでトライした方が良いというものです。

_1328618931.46367_599.png■楽ばかりしていると災難がやって来る

「災難は楽して生きようとする輩を好む」

平安時代末期の僧である文覚の言葉です。「現状に満足して、安楽椅子に腰かけていると、災難がやって来て太刀打ちできなくなる。」ということを表しています。

ある民話を紹介します。ある無人島があり、A,Bの二種類の鳥がいました。A鳥は翼が小さかったので、毎日一生懸命に飛ぶ練習をしていました。

その甲斐があって翼がだんだんと大きくなり、速く飛べるようになりました。

ところがB鳥は、「この島には天敵がいないから、襲われる心配がない。だから飛ぶ必要がない。」と考えたのです。そのため、次第に翼が退化してしまったのです。

人間がこの島にやって来たときに、A鳥とB鳥は大きく明暗を分けました。

A鳥は、安住の地を求めて、すぐさま島から逃げ出すことができたのです。それに対し、B鳥はいとも簡単に人間の餌食にされてしまったのです。

日頃からスキルアップに努力をしていれば、困難に見舞われたとき打ち勝つことができます。

しかし、現状に満足してスキルアップをないがしろにしていると、大きなしっぺ返しを食らうことになるのです。

不況や倒産といった困難に見舞われても「自分にはこれがあるから大丈夫」と言えるように、常にスキルを磨いておきたいものです。

激動の時代にあっても、心がマイナスに傾くことなく、勇気と自信を持って、前へ進むことができます。

_1328619765.90547_752.png■苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし

「苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし」

これは徳川光圀の言葉です。「苦しいことに耐えて努力を続ければ、やがて楽しみが訪れる。楽しみがばかりに浸っていて努力をしないと、結局は苦しむこととなる」ということを表しています。

光圀は、苦という言葉を苦手という言葉に置き換え、家臣たちに次のように述べたとも伝えられています。
 
「苦手なことを克服しようと努力をすれば、後になって楽になる。逆に、苦手なことをないがしろにして、楽することばかり考えていると、大きなしっぺ返しを食らうことになる」

いくら発想力や企画力に優れ、プレゼンテーション能力にも長けていたとしても、文章が下手で誤字が多ければ、相手にマイナス印象を与えてしまいます。内容が把握しづらいなどの評価を受けてしまいます。

文章を書くのが苦手なばかり、飛躍、発展のチャンスを逃してしまう可能性さえあります。

文章に限らず、苦手だと思えば、今からでも遅くいないので克服するように努力をすることが重要です。苦手なことを放っておいて、後になって心をマイナスに傾けるか、克服してプラスへ導くか、大きな分かれ目です。

_1328619765.90547_752.png■失敗は恐れるに足りないこと

「失敗は尊い人生塾のようなもの。塾で学ぶからこそ、その人間は磨かれるようになる。」

江戸時代の儒学者の貝原益軒の言葉です。何かをやろうと思った時に失敗はつきもの。失敗はごくごく当たり前の現象で、必ず起きるものだと考えた方が良いです。

問題は失敗から何を学ぶか、人生にどう生かしていくかということが大切だ。失敗は尊い人生塾のような存在ということを表して言葉です。

言い換えると、失敗は自己成長に欠かせないものだということです。子供の頃に勉強1つとっても、失敗をすることで正しいことを学び、学習能力を高めていくものです。

人生の中で、仕事でミスをした、人とうまく話せなかった、というような時に落ち込むのは止めましょう。同じ過ち、似たような間違いを繰り返さないようにすれば良いことです。

落ち込めば、心はどんどんマイナスの方向へ傾いていきますが、正しいことを学べば、プラスの方向へ向かうようになります。このことを肝に銘じると、失敗は恐れるに足らなくなります。

_1328618899.13267_533.png■アルコール依存を抑える秘訣

湯上りはビールでなく冷たい水を飲むと良いですよ!

習慣で飲む酒を改めるべきです。「湯上りにビール」とよく言いますが、湯上りに冷たいものを飲めば、それがたとえビールでなくとも、同じように美味しいと思います。冷たい水でも良いわけです。

私は、湯上りにグラスに冷たいミネラルウォーターを並々と注いで、一気に飲むようにしています。湯上りに冷たいミネラルウォーターを飲むと、やはり美味しいと感じるのです。

その後でビールを飲むと、なんてまずいのだろうと思います。

これは喉のが乾いているときの1杯というのは、ビールでなくとも良いという証拠です。習慣として湯上りのビールでなく、1杯のミネラルウォーターを飲むようにすると、アルコールの量を格段に減らすことができます。

同様に、レストランに入ったときも、「とりあえず、ビール!」とオーダーをしないで、まずお水を飲むようにします。冷たい水を1杯飲むようにすると、その日はお酒抜きでも大丈夫という気分になれます。

ビールを1日の楽しみにしている人も多いと思いますが、ぜひ一度、冷たい水を飲むことにかえてみてください。

お酒を控えることができます。アルコールに頼りがちな人も、かなりなんとかなると思います。アルコール依存を抑えることができます。

_1328618931.46367_599.png■嫌いな人とは無理して付き合わない

心のままに生きようとしたとき、大きな問題となるのが人間関係です。この世のストレスは、全て人間関係が原因だともいえます。たとえば、嫌いな上司であっても、脳の新皮質は「ちょんとお付き合いしないと駄々だよ」、「その人にも良いところはあるんだから」など、いろいろな理由を付けて、人間関係を成立させようとします。

もとは、新皮質は社会秩序や人間関係を維持するために発達したのですから、こういう場面では活発になるわけです。だけども、心は「嫌い」のサインを出して、新皮質に猛烈に反発をしています。会社に行くのが胃が悪くなるほど嫌になることもあります。

そんな時は、会社へ行くのを止めてみるのもいいかもしれません。身体の調子が悪くなってしまうほどであれば、それを避けなければ駄目だと思います。

一度立ち返って考えてみてください。「本当に会社に行く必要があるのか?」、「本当にその人と付き合う必要があるのか?」と。

現在は、良い学校に入って、良い会社に入ることが人生の成功だという価値観があります。しかし、昔は多くの人が身近なところで、生活のために職業技能を学んだり、独り立ちをしていたわけです。

色々な生き方があるわけで、嫌いな上司をコミュニケーションをとる必要があるのかを考えてみると、別に付き合わなくとも良い場合も多いのでは?

ノイローゼになるほど嫌いな人であれば、無理してその人と付き合う必要はないと思います。これからは、自分の心(気持ち)と向かい合い、それを大切にする時代だと思います。

_1328618899.13267_533.png■コツコツ努力を重ねることが勝利の秘訣

「万事初めは成し難けれども、功を積みて鍛錬すれば、上手になる」

江戸時代の僧の浅井了意の言葉です。ここでいう功とは、努力のこと。つまり、「どんなことも初めた時は難しいが、努力を重ねれば必ず上手くできるようになる」ということを表しています。

自転車がいい例です。はじめは補助輪を付けて乗るのがやっとです。補助輪を外れした途端、転びそうになってしまいます。

しかし、練習を重ねていくうちに、自在に乗れるようになるではないですか?

水泳も同じです。はじめのうちは、水に浮くのさえ難しいものです。浮き輪を外して途端、溺れそうになってしまいます。

しかし、何度も繰り返し練習すればコツが分かり、浮き輪がなくても平気になります。気が付けば、泳げるようにもなっています。

私たちは、大なり小なりこれを実践しています。何事もはじめのうちは大変でも、繰り返し続けることで、何かをものにしてきているのです。

だから、「畑違いの人事異動させられた」「苦手な営業をやる必要がある」などというような時も、この気構えで臨めば良いのです。

はじめのうちは上手くできなくて当たり前です。失敗して当然です。そう思えば、力みも緊張も取れるでしょうし、やる気と勇気が湧いてくるものです。

コツコツ努力を重ねることが勝利の秘訣です。

_1328619842.99349_69.png■できないというのは、ただやらないだけ

「何事も、ならぬといふはなきものを、ならぬといふはなさぬなりけり」

これは吉田松陰の言葉です。何事もできないということはない。できないということは、ただやらないだけである。言い訳にすぎない。ということを言っています。

吉田松陰は、この言葉を良く使っていたといいます。彼の弟子たちにも、ことあるごとに言っていたそうです。

後に内閣総理大臣となった伊藤博文に対しても例外ではありません。その伊藤博文がまだ俊輔と呼ばれ、吉田松陰の塾に入ったころ、こう言いました。

「高杉晋作さんや久坂玄瑞さんと違って、私は下級武士の出で、満足に教育を受けていません。だから先生の講義についていけません。今日で塾を辞めようかと思っています」と。

すると、吉田松陰は、「それは、単なる言い訳にすぎない。下級の出で、満足に教育を受けていないというなら、これから勉強をすれば良いだけの話だ。講義についていけないというなら、勉強をしてからにしなさい」と言ったといいます。

俊輔は大いに反省をし、その後は寝る暇も惜しんで勉強をしたといいます。

私たちも同様に、「できない」と思うときいは、ただやっていないだけのことなのです。言い訳をしているだけです。

仕事も、スポーツも、語学も、楽器の演奏も皆やればいいだけの話です。やり続けていれば、そこそこできるようになるものです。

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